68話 法律学のアウトプットに関する悩み
今回は、ちょっとした悩みを書いておきたい。
私は某大学の法学部で法律を学ぶ、どこにでもい・・・ない落ちこぼれ学生なのだが、実はあることを考えている。
法律系の記事を書いてみたくなった。
動機は、自分自身の勉強の効率化と、学んだことをアウトプットしたいという思い(しかも誤った情報は出せないし、その際は第三者からの指摘が入るので気がつきやすい)と、当ブログの利便性を高めたいという思いがあったからだ。
ただそれだけ。
しかも、いまのところ憲法・民法・刑法・刑訴法・民訴法・商法(会社法含む)・行政法(行政法に関する諸法。「行政法」という法律があるわけではない)を包括して一つのブログで見る事のできるものはなく、あったとしてもPV数が少なかったり、完成半ばで辞めてしまったりしたものだったりするため、ブルーオーシャンな領域だ!
そして、弁護士等の法曹や法律事務所の解説は、非常にわかりやすく私が書くものよりも当然、圧倒的に充実しているのだが、悲しいことにPVが少なかったり、そもそもその法律事務所を知らなければ当該ブログにたどり着けないといった状態である。
よって、誰もが簡単に見返すことができて、かつ私自身も復習に使えるブログを作りたい! と思って、法律系のブログを書こうと思ったのである。
(おかげさまで、当ブログも合計5000PVに近づこうとしております。本当にありがとうございます!)
だが問題が山積みである。本稿ではその一部を紹介する。
まず、弁護士はおろか、行政書士の資格すらない、無資格の私が法律系の記事を書いてもいいのだろうか??ということ。
次に、法律に関する情報は非常にやっかいだ、ということ。法律に条文があるから、条文通りに従ってさえいたら法的紛争は万事解決!!・・・とはいかず、数々の判例・学説が存在し、しかもそれらが互いに争いがある状態、すなわち解釈がある状態では、批判が殺到しかねない。
法学部の学生なら分かるかもしれないが、判例の中にも、「一裁判官の反対意見」などといって、「このような判決となったが、私は違う考えを持っている!!」と判決文の後に書き加えられているほど、「法律」とひとくくりに言っても混沌としているのだ。
例えば、憲法21条(表現の自由)で保障されている、といわれている「報道の自由」について考えてみた。
報道の自由の中に、「取材の自由」も含まれるのか?が、学説・判例それぞれ対立を起こしている。
これに関する判例の一つに、「博多駅テレビフィルム事件最高裁判決」というものがある。司法試験を受ける方なら誰もが知る重要判例である。詳細はここでは述べないが、最高裁はここで、「報道のための取材の自由も、憲法21条の精神に照らし、十分尊重に値する」旨を述べた、ということをまず知って欲しい。
そのうえでしかし、「尊重に値する」とはいっても、「保障する」とは言っていない点に注意が必要だ。そこで学説の対立を招いてしまう。
「より積極的に報道の自由の一環として取材の自由を21条で保障されるべきだ」とする考え方が登場するのである。
それだけではない。
この他の憲法に関することを考えてみよう。
全ての国民には基本的人権というのがある、ということを小中高のいずれかで少なくとも教えられた方が多いだろう。
しかし、同時に「殺人は犯罪」「万引きは犯罪」といったように、人権にも「人を殺す権利」「モノを盗む権利」といった権利は認められないのは自明である。ここまでは誰もが知っていることである。ここからが大学で学ぶコアな話。つまり、人権がある、といっても限界は存在するのだ。いわゆる公共の福祉という言葉が出てくる。
基本的人権は、憲法12条以下で規定されているのだが、公共の福祉による制約はどこまで行われるのか?それぞれどのような法的意味を持つのかという話になると、そこでも様々な学説による考え方が存在する。
公共の福祉という人権の「外」からの制約によって、基本的人権はすべて制約される、といった「一元的外在制約説」
そもそも公共の福祉は人権同士の争いをうまく調整するために、それぞれの人権にあらかじめ必ず存在するものだが、その制約は必要最小限のものだ、とする「一元的内在制約説」
人権を自由権と社会権の2つにばっさり分けて、社会権は外在制約があり、自由権には内在制約がある、とした「二元的内在・外在制約説」
学説だけでも3つの対立候補があるのだ。
このように、法律学を、事実に即してブログにアウトプットしていっても、多数の判例、多数の学説をひとえにさばききる事は難しい。
もちろん、学説の中でも有力説と呼ばれるものもあるし、判例の中でも形骸化してしまったり時代が進むにつれて批判が行われたりするものもある。
だが、ただの学生である私が憲法や商法、会社法や民訴・刑訴といった、これまで学んだ内容を当ブログにアウトプットするには、すべての学説や判例を拾いきれないと考えている。
ただでさえ裁判官の中でも同じ法律に対する考え方が異なったり、対立したりするのに、自らの説を当ブログに持ってきて法曹や学者が論破しあっても、私は対応に困ってしまう。
どうしたものかねぇ・・・。
はぁ・・・。
よし、書こう。
「新しいカテゴリーに法律(学生)が追加されました。」
続く。