74話 解釈違い?
時事ニュースにも目を向けてみよう。
河野太郎 行政改革・規制改革担当大臣の就任会見において、様々な報道が行われた。私もこの会見を早朝に聞き、夕方にこれを今日の記事にしようと考え、様々なニュースやオンライン新聞を読み込んでいたところ、どうやら私自身の思っていた解釈とは違う内容となっていた記事があったことに驚いた。
本人がどのような意図をもって述べ、私たちがどのように解釈すべきだったかは本人が説明・または解釈しない限り、正解は分からない。
しかし、それぞれの報道機関はもちろん、私たちの解釈や捉え方によっては、本人の意図とは思わぬ方向に出来事が運んでしまうことも心にとめておかねばならない。
そこで本稿では、今回の時事に対して私自身の偏見と価値観、捉え方を、文脈に即して述べていきたいと思う。本稿の狙いは、万が一そこで社会とのずれが生じていたら、これは私自身の修正になるという自分のためにある。いわゆる自分自身の価値観の確認である。
どうか今日もご一読願いたい。
事実の概要
さて、本稿では会見における、ニコニコ動画記者と河野大臣とのやりとりについて抜粋していきたい。
やりとりの詳細は、Youtubeで「テレ東NEWS」さんが公開している「【ノーカット】河野行政改革・規制改革担当大臣 就任会見(2020年9月17日)」を参考にした。
記者の質問は以下の通り。
記者「(名前・所属を述べてから)よろしくお願いします。規制改革はですね、菅新政権の目玉中の目玉であります。まあ菅総理はですね、「私はつくるほうだから、壊すのは河野大臣にやってもらう」と発言した、と伝えられております。まあ時間が限られている中でですね、成果を生み出すために、どのくらいのスピード感で壊していくのでしょうか。また、確認ですけれども、まあ国民の理解・同意も不可欠だと思います。SNS上での呼びかけについても、これまで通りやって頂きますでしょうか?」
河野大臣「あのー、(笑)スピード感、例えばこの記者会見も、各省に大臣が散ってやりゃあもう今頃みんな終わって寝てますよね。それを延々ここでやるっていうのは前例主義・既得権・えー権威主義の最たるものだと思いますので、こんなものさっさとやめたらいいと思います。ぜひご協力を頂きたいと思います。まあこれを皮切りにいろいろやっていきたいと思っておりますしSNSもしっかり使っていきたいと思います。」
いっぽうで、河野大臣のtwitterを見ると、yahooニュースとldnews(ライブドアニュース)で取り上げられた記事を引用・ツイートしていた。
これらで書かれていた記事のうち、yahooニュースの元記事は「ABEMA TIMES」であり、ライブドアニュースのほうは「朝日新聞デジタル」である。
後者は会員専用記事でライブドアニュースで抜き出されていた記事の先は朝日新聞デジタルの会員登録することで見ることができるようになっていたが、残念ながら私は会員登録をしていないし、する予定もない・・・。
いずれの記事も、その内容は事実を述べたまでにとどめている。それぞれの題名に着目してみよう。
a「「前例主義、既得権益、権威主義の最たるもの」河野行革相、深夜の閣僚リレー会見に苦言」(ABEMA TIMES)
b「河野行革相、未明の就任会見慣例を批判「やめたらいい」」(朝日新聞デジタル)
ここにそれぞれの解釈や捉え方が現れている。
※ちなみに私は日経新聞のオンラインを定期購読していますが、これに関して特に目立った記事はありませんでした。
いっぽうで、これに反応した産経新聞は、以下の記事を出した。
c「河野行革相「こんなものはさっさとやめたらいい」 官邸での記者会見」
d「新閣僚記者会見廃止論に「検討したい」 加藤官房長官」
また、Microsoft Newsが出した産経デジタルが元のe「「河野さんよく言ったよ!」「さっそく改革ですね」 未明の就任会見“やめたらいい”と批判の河野行革担当相に共感の声が殺到」も出された。
私は後者3つの記事を見て、「ん?」と何か引っかかるものを感じた。
各新聞記事の詳細については申し訳ないがここでは省略させて頂きたい。なにせ字数が(略)。
「何を」やめたらいいと述べている?~新聞記事の解釈に対する私の疑問~
結論から先に言うと、「前例主義・既得権・権威主義の最たるような、官邸において順番で行うような記者会見の、そのありかた」を「さっさとやめたらいい」と述べている、と私は解釈している。
これはさまざまな記事を読んで、実際に配信を見て解釈をしたのであるが、その中で私が気になったのは産経新聞の題名・記事双方の書き方だ。cとdの記事を見て欲しい。
cの記事では、大臣の発言に括弧書きで分かりやすくメッセージを入れていたが、私はこのメッセージがちょっと情報不足ではないかと感じた。
「延々とここで(記者会見を)やるっていうのは前例主義、既得権、権威主義の最たるものだ。こんなものさっさとやめたらいいと思う」という文章。しかし本稿で取り上げた事実の概要を見て欲しい。よく見ると、括弧に入るのは「記者会見を」だとするとなにか物足りなく感じる。「記者会見を」ではなく、「初閣議後就任会見を」とせめてしておかないと、読み手の解釈が「記者会見そのもの」なのか、「今回のような特殊な会見」なのか混乱が生じるのではなかろうか?
そして、その後、加藤官房長官の「検討したい」とする記事(d)は、そもそも事実と異なる記事をかいていないか?と私は疑問に思った。
dの題名をもう一度見てみよう。
「新閣僚記者会見廃止論に「検討したい」 加藤官房長官」
そして事実の概要の大臣の発言を見て欲しい。
・・・新閣僚記者会見廃止・・・は言い過ぎ、というか言っていないのでは?
大臣は「廃止する」という言葉も、廃止したい旨についても、一言も述べていない。
さらに新聞の内容も引用して見ていこう。
加藤勝信官房長官は17日午前の記者会見で、河野太郎行政改革担当相が同日未明に行われた閣僚らの記者会見について廃止を唱えたことに関し「国民に対して新閣僚がどういう思いで取り組むかを表明する大事な機会だ」としつつ、「ご意見をたまわりながら検討していきたい」と語った。
先ほども述べたように、「廃止」を唱えていないのではないかと思う。
そして、以下に官房長官と当該質疑応答のやりとりの事実を載せるが、廃止を唱えたことに関して、どういう思いで取り組むか表明する大事な機会だ、としつつ、ご意見をたまわりながら検討、していない。
文脈的には、前者と後者の発言は並列に置くことができるように見えるが、そうするとますます解釈がおかしくなる。
廃止について検討しているのではなく、下記の事実に即して言うならば、記者会見のあり方に対しての改善に関する検討、とすべきではなかろうか?
「廃止」ではなく、「改善」である。
事実の概要パート2 2020年9月17日 加藤官房長官記者会見において
日本テレビ記者「内閣発足時の閣僚会見について伺わせて頂きます。あの昨日の初閣議後もそうですけれども、あの会見で各閣僚が会見されてそのあと諸官の省庁で会見するというのが慣例となっていますけれども、2度目の省庁の会見が深夜に始まる役所も多くてですね、昨日河野行革大臣が、官邸での数珠つなぎのみなさんの会見のあり方にある一種疑義(赤字の部分は聞き間違いの可能性有)を呈されました。長官も閣僚としてこういう会見をご経験当然これまでもあると思いますが、その点改善の必要があるかどうか、この点どういう認識でしょうか。」
加藤勝信官房長官「まさにこの会見もですね、冒頭申し上げましたように、国民の皆さんに対して新たな大臣がどういう思いで取り組んでいくのかということを表明する大事な機会、だと思います。えー長年の積み重ねのなかで今の姿になっているのだろうと思いますけれども、ただ今日、たとえばこれもそうだと思いますけれども、全ての会見は全部webで公開されているわけでございます。まあそうした時代の中でどういう姿、在るべきか、という、たぶんそういう観点から、河野大臣は仰ったのではないかと思いますので。やり方はこれまでの記者会の皆さんとも相談はしているわけでありますから、まあそうしたご指摘、あるいはそれぞれの皆さん方の受け止めも含めて、そこはよく我々もご意見を賜りながら検討していきたいと思います。」
このやりとりを私自身のバイアスがかかっている状態で解釈していきたい。
記者の質問したい要点としては、「初閣議後の首相官邸で会見を終えて、その後にそれぞれの省庁で2度目の会見が行われることが慣例となっているが、その中には深夜に始まるものも多く、河野大臣もこれに関連する発言も行っていた。官房長官もそういった慣例に基づいた会見を経験しているはずだが、会見の改善の必要の有無について認識を伺いたい。」
長官のほうは、「この会見も、昨日の会見も、国民に対してそれぞれの新大臣の取組みに対する思いを表明する機会となっていると思っており、この会見も長年の積み重ねで現在の姿になっているのだと思うのだが、河野大臣はこの会見に対して、全ての会見がwebで公開されている時代におけるあり方はどうあるべきかという観点から述べたのではないだろうか。会見の方法については記者会とも相談しているから、さまざまなご指摘、受け止め方含め、意見をいただきながら検討したい、という認識でいる」
という解釈をしたうえで、官房長官は「会見方法の改善について広く耳を澄ませながら検討する認識」なんだな、と感じた。
さて新聞記事に戻ろう。
となると、廃止論に対して検討、とは、どういった事実、どのような文脈から具体的に導き出すことのできるフレーズなのか、私は疑問に感じてしまう。
何かひっかかるものがついてしまうのだ。
なるほどそういう解釈もあるのだな、と考えることはたしかにできる。しかしそこから学ぶことはできても、その解釈に納得できるかはまた別のお話である。
だが公に真実を知らせる新聞社をはじめとするマスメディアの記事である。広報のプロの記事である。
故に私の解釈が明らかに間違っているのではないか?と焦る。だがそれでも結論は述べたい。
以上を踏まえ、題名に対する結論を述べると、河野大臣は、
「前例主義・既得権・権威主義の最たるような、官邸で順番で行うような記者会見のありかた」を「さっさとやめたらいい」と私は解釈した。
果たしてこれは解釈違いだろうか?
もっとも、発言に対して様々な反応があることは、まだ社会初心者の私にとっては面白く、「ああこのような考え方もできるのだな」と感じて楽しい。
しかし、そのような考え方を知りつつ、中には「いや、この言い回しや解釈はおかしいのではないか?」「私が行った解釈と大幅に乖離しているが、私の解釈は大丈夫なのか?」といった疑問点も残る。
私は正しい解釈、正しい受け止め方がしたい訳では無い。そして常に100%正解の解釈や感じ方・受け止め方というものは存在しないし、そもそも存在するのであれば人生は面白くない(暴論)。そう、正解はありそうでないと思っている。だが間違いはある。
ほら、「上司から習慣や価値観を見て盗み、自分の糧にする」というフレーズも、おかしな解釈に走れば「上司から盗み、自分のにする」という考えにしようとおもえばできるのであり、後者は窃盗であり犯罪である。ちょっと無理があったかなこの例は・・・笑
だがその間違いは、私自身では指摘することができない。大衆が同時に「あれ、これはおかしいぞ?」と思い、かつ本人の意図・解釈と大幅な相違があるのであれば、はじめて「間違った解釈」ということができるのではないか?
故に他の反応を見ていない私は、「間違っている」と判断する立場になければ、むしろ私の解釈を疑う立場にあることは留意する必要がある。特定の報道に対しての疑問であり、批判ではない。
とにかく、解釈というものに正解はなく、いや、本人の意図のみぞ知るものであり、近づくことはできても私たちができる他人の考えをもとにした100点の解釈など存在しない。
だが「明らかに間違っている」という解釈は容易にできるということも、知っておかなければならない・・・。
読者の皆様は、どのような解釈をされるのだろうか・・・。
続く。
参考文献
新聞記事aとして取り上げた文献
新聞記事bとして取り上げた文献
新聞記事cとして取り上げた文献
新聞記事dとして取り上げた文献
新聞記事eとして取り上げた文献