48話 理想か現実か
理想と現実
人生を泉に落としてみた。
すると、お決まりのシーンになった。
女神様の登場である。
あなたが欲しいものは、理想ですか?それとも現実ですか?
「?」
私はどういうことか聞き返した。
「あなたは人生を泉に落としましたね。自分の大切な人生を賭けてこの泉に落とす者は、必ず理想か現実かどちらかが欲しいのでしょう。でしたら、人生を拾って返すとともに、あなたに理想と現実のどちらか一方を差し上げます。」
なるほど。
私は女神にもう一つ質問をした。
「あなたのいう、理想、ってなんですか?現実、ってなんですか?」
「私の言う理想はね・・・。 理想を追い求めた先のあなたの末路をいいます。あなた自身が信念として掲げている、そしてそれを原動力として突き進んでいる、その理想の先にうつるあなたを教えて差し上げましょう。そしてあなたにその理想のステータスをあげましょう。現j・・・」
「なんだって!?ということは、俺が求めている理想が間違っていたら、どうなっているんだい!?」
「それは理想をここで求めて、あなたの目で確かめてみればよろしいでしょう。」
「くっ・・・」
ならば、もし現実を選んだら、理想を捨てて、現実を選んだ人生が見られるという訳か。
実に興味深い。現実を直視しつつ、それでも理想を追い求めて野望を燃やし続ける私にとっては、追い求めた先の理想を見る事ができるのも、逆に現実に沿って生きる人生を見るのも、どちらも面白い。そして理想の為に必要なツールも見つかる。
「わかった。決めた。」
「女神様・・・ですか?あなたに聞きたいことは以上です。私に「理想」をください。」
「ふん・・・。ここまで根掘り葉掘りきいて理想か現実かじっくり考えてから理想を求める人間など珍しいですわね・・・。良いでしょう。理想も現実もどちらも差し上げましょう。」
「ありがとうございます!」
私はこうして理想と現実の両方を見に行くことにした。
「・・・まったく、本当に腐ったサラリーマンどもは現実現実ぅ!はやく人生と同時に現実をよこしやがれぇ!とかほざき散らかすのに、どうしてあの男はじっくり判断するんでしょうね・・・。たしかに、現実は人生をよりよいものにするために直視しなければならないものよ。でも、人生を落とした時に理想を捨ててでも手に入れるものではないと私は思うのよ。まともな人間は自分自身では分からない理想の果てを見て、現実といった自分自身で直視できるようなものは自分の手で取りに行くのよ。理想もないくせしてそんな人が押しつけた現実を見ろ、って話なんてあてにならないもの。」
理想と現実を手に入れ、さらに人生まで取り戻した私は、理想の果てを追い、現実の果ても追った。
・・・・・・・・・・。
ただ漠然と理想を追った「私」は、生涯貧乏生活となり、破滅の人生を送った。気がついたら近くの踏切にやってきた特急列車にはねられていた。誰にも悲しまれず、看取られること無く搬送先の病院で亡くなってしまった。それを見た私は、こう思った。
「俺の理想は、間違っていたのか?いや、現実を把握せずにただやみくもに理想を追ったからこうなったんだ。」
「現実を見に行くか。」
手に入れた理想を把握し、現実を見に行く。
現実を手に入れ、それを追ったもう一人の「私」の行方とは。
悲惨なものだった。本稿に載せられないほど。
「よく現実を見ろって言われるけど、俺が見ているその現実の果ては、何のために生きているのか分からずに路頭に迷っている「私」ではないか!!」
現実の果ての私は、平凡なサラリーマン生活を送っていた。自分の理想から目が覚め、理想を捨てた人間だ。しかし、その結果どうなったか。
「私」54歳。親の指示と社会からの圧力で入社したとある会社の課長。
そして突然のリストラ。ビールとたばこはやめられず、パチンコやキャバクラにハマる日々。最終的には無一文。
踏切を渡り、いや、そこで立ち止まり、なにを思ったのか、近くの川に飛び込み、また近くを航行していた小型船のスクリューに巻き込まれていった。
「なるほどこれが現実の極端な例か。」
現実を把握し、理想への踏み台にすることこそ、大切なのではないかと考える私がおかしいのだろうか。
現実に妥協して平凡かつ幸せな人生を送ることはできるはずだ。そちらを否定するつもりはない。だが、果たしてこれでいいのだろうか?
もう一度、じっくり考えてみて欲しい。
理想か、現実か。
続く。